80年代少年



ふ:ふぞろいの林檎たち【ふぞろいのりんごたち】

TBSテレビ「金曜ドラマ」枠で放送されてましたた「ふぞろいの林檎たち」。

パート1が1983年から始まりました。まさに80年代を代表するドラマでした。



山田太一原作・脚本。
中井貴一、時任三郎、柳沢慎吾の男子チームに、
手塚理美、石原真理子、中島唱子の女性チーム。

そこに、高橋ひとみ、国広富之のちょっと謎のカップルに、
佐々木すみ、江根岸季衣、小林薫の芸達者が絡んで、
「山田節」とでもいう独特の台詞回しによる会話を中心とした群像ドラマです。

主題歌はサザンオールスターズの「いとしのエリー」。

エリー以外にも、「栞のテーマ」「いなせなロコモーションな」など、
初期のサザンの名曲、ステレオ太陽族あたりを中心に流れていました。



個人的にはパート1よりパート2の頭が印象に残っています。
大学を卒業後、会社員となる3人の男子チーム。
その中で、時任、柳沢は同じ会社に入社。新人教育でなんだか地獄の特訓セミナー
みたいなのに参加するシーン。雨の中のランニングで、柳沢慎吾の
「やってらんねえよ〜」という泣き言が胸をうちました。

柳沢慎吾のおなじみのフレーズは「あばよ!」ですが、個人的には
「やってらんねえよお」のほうが好きです。


posted by yoshi at 10:51 | トップページ

ひ:光GENJI【ひかるげんじ】

1987年夏、ローラースケートをはいた上半身裸で、下がデニム(当時はジーンズと言っていた)の短パン(当時は半ズボンといっていた)の男の子たちが、「ザ・ベストテン」でくるくる回りながら歌って踊りはじめました。

こう書くと何がなにやら、あるいはシュールだなあという感じですが、あの当時はあっという間にアイドル・スターの頂点へ。たのきんトリオ、シブがき隊、少年隊の次、という感じで出てきたのが光GENJIでしたが、かなり規格外でした。



ちなみに、デビュー曲「STAR LIGHT」など、楽曲提供は、チャゲ&飛鳥さんでした。


posted by yoshi at 07:33 | 80年代:アイドル

は:パタリロ【ぱたりろ】

魔夜峰央のギャグ漫画です。

読んだなあ、『花とゆめ』。1978年連載開始ですので、スタート時点は70年代ですが、フジテレビでのアニメ放送開始が1982年、そのころから爆発的人気になりました。

「常春の国」マニネラの国王パタリロとタマネギ部隊、そしてMI6のバンコランとその恋人マライヒなどの面々が全世界を舞台にした大騒動を描いておりました。

ちなみに、この漫画で少年愛なるものを学びました。

それにしても、当時の「花とゆめ」はすごかったなあ。

ガラスの仮面、スケバン刑事、パタリロ。姉が買って来る「花とゆめ」。楽しみでした。

posted by yoshi at 14:36 | トップページ

の:ノムラスコープ【のむらすこーぷ】

野村克也考案。プロ野球解説時に、ストライクゾーンを9分割し、ピッチャーの投球・配球を推理し評価するというもの。

ノムさんは、出場試合歴代2位、捕手として三冠王獲得。監督としても出場試合数歴代3位という押しも押されぬ戦後プロ野球界の功労者です。なんですが、彼の球界、特に現場との結びつきで、80年代は空白地帯にあたります。

南海のプレイングマネージャから西武に放出され、80年に引退。往時の球界のドンに干されたとか干されなかったとかで、80年代丸々、野に下っていたわけですね。

その在野の時代に、テレビ朝日の解説者として考案・活用していたのが「ノムラスコープ」なのです。

「とりあえず、ここに放っておけば、ファールでカウントかせげますわな」的な予言を的中させていました。

この後、90年代に入り、ヤクルトスワローズの監督に就任。セ・リーグのお荷物球団を3年で優勝に導いたのが、いわゆるID野球(Important Date、データ重視)と言われておりますが、その萌芽は在野・解説者時代の理論構築によるものとも言えるかも、です。



とはいえ、なんとなく予想屋的で、ちょっと陰にこもった感じがしなくもない、ノムさんの解説でしたし、その後のヤクルトの優勝も、根暗のノムさんに反発した古田のび太くんを始めとした選手たちが「明るくたって野球はできる」とフジサンケイグループのノリで勝っちゃった結果に過ぎないと言えなくもなくもない。
posted by yoshi at 22:06 | トップページ

に:任天堂【にんてんどう】

889年、山内房治郎が京都市下京区で花札の製造を始める。っておい、それじゃ1880年代、ということで。


それから約1世紀。1980年に携帯型ゲーム機「ゲームウオッチ」が発売になります。



1981年には「ドンキーコング」を開発。キャラクターとして「マリオ」が初めて登場、です。




1983年「ファミリーコンピュータ」を発売。今考えてもすごいですね、ファミリー+コンピュータというネーミング。

1989年、ゲームボーイ、そして1990年スーパーファミコンへ、という任天堂破竹の80年代でした。

それにしても、電車に乗ればみんなスマホを出してゲームを始める現代、おもむろにゲームウォッチを出してやり始めたら、かえって斬新でしょうな。

posted by yoshi at 13:38 | 80年代:時事

な:中畑清【なかはたきよし】

80年代の巨人を代表するプロ野球選手。長島を愛し、原に嫉妬し、それを原動力に「絶好調」というフレーズを貫き通した選手でした。実際の「絶好調」の期間はおよそ80年代の10年間と短いものでしたが、プレイスタイルとルックス・名言・迷言から人々に愛され、いじられたものです。

『がんばれ!! タブチくん!!』でも、絶好調になりすぎて最後には絶好鳥になって、グランドを駆け回るというベタでありながらシュールな登場人物として描かれました。

最高だったのが、「ビートたけしのオールナイトニッポン」内での「中畑清コーナー」。まあ、ガッツ石松コーナーみたいなものですが。

〜中畑清が一塁を守ってて。ランナーに出てきたレオン・リーが「リー、リー、リー」って言いながらリードしててさ。それを見てた中畑が、「よし。俺もやってみよう」ってなって、自分が塁に出たときに「キヨシ、キヨシ、キヨシ」って言いながらリードしたんだって!〜

往時のハガキ職人のセンスと共に、「(笑い!)でも、実話かもしれない。。。」とわずかでも思わせる、そんな中畑清でした。まさか、後年、横浜方面の球団監督になるとは思いもよらない80年代でした。
posted by yoshi at 10:42 | トップページ

と:Dr.スランプ【どくたーすらんぷ】

少年ジャンプ飛躍のきっかけとなった「Dr.スランプ」。連載開始が1980年5・6合併号ですので、まさに80年代の幕開けと共にジャンプ黄金期を支える漫画が始まったと言えますね。

タイトルが「Dr.スランプ」とある通り、主人公は則巻千兵衛さん。ただし、1981年のアニメは「Dr.スランプ アラレちゃん」とタイトル変更になっている通り、アラレちゃんが本当の主人公ともいえます。

絵のかわいいギャグ漫画というところが素晴らしく、当時小学生だった我々は連載開始(たしか開始号は2話モリだったと思います)から圧倒的ファンになりました。

のちのち、ジャンプは「友情」「努力」「勝利」をキーワードに、週刊少年漫画誌の雄になっていくわけですが、当時はまだその手のマーケティングなど読者側も知るよしもなく、努力も勝利も何もないアラレちゃんに魅了されたわけです。

まだ翼君も北斗の拳もドラゴンボールもスラムダンクも出てくる前の(あ、「リンかけ」はあったね)牧歌的な時代でした。

posted by yoshi at 16:40 | 80年代:マンガ

て:デュラン・デュラン【でゅらんでゅらん】

80年代洋楽、大英帝国の侵略(ブリティッシュ・インヴェイジョン)の雄、デュランデュラン、Duran Duranです。

双璧にあたるカルチャークラブが、ボーイジョージのある種ギミックなルックに目が行きがち(音楽そのものはニューロマンティックバリバリですばらしい)に対して、デュランデュランは端正なルックで日本でも売れました。邦楽でも各種のフォロアーが発生しましたね。

特にMTVがかっこよく、洋楽を映像で見る、聴く、というアクションの走りでした。

posted by yoshi at 21:59 | 80年代:ロック

つ:つかこうへい【つかこうへい】

70年代からすでに活躍されている演劇人であり、80年代には代名詞的舞台「鎌田行進曲」が映画化され人気を集めることになるのですが、個人的には、草色の背表紙で統一された角川文庫のエッセイ・小説集に魅了されました。

エッセイ集でいえば。。

あえてブス殺しの汚名をきて

すごいタイトルですよね。もう絶版かな。

傷つくことだけ上手になって

つかへい腹黒日記

小説も

つか版・忠臣蔵

広島に原爆を落とす日

長島茂雄殺人事件 ジンギスカンの謎

逆説的なタイトル含めてしびれたもんです。

現在の角川文庫の背表紙は何となく味がなくなったのですが、当時は作者ごとに背表紙の色が異なっており、それも含めて魅力でした。片岡義男の赤、赤川次郎の青、それこそ大藪の深紅。そして、つかこうへいの草色。この遊び、余裕が80年代だったなあ。
posted by yoshi at 22:04 | トップページ

ち:千倉真理【ちくらまり】

文化放送の深夜放送「ミスDJリクエストパレード」の水曜日担当(のちに金曜日担当)、「千倉真理ですっ!やるっきゃないわよ!」いやあ、ほんと聞いたなあ。

80年代初頭の深夜ラジオは、ニッポン放送が「オールナイトニッポン」、文化放送が「セイヤング」、TBSラジオは「パックインミュージック」。そんな中、文化放送が長寿番組である「セイヤング」に代えて送り出したのが「ミスDJリクエストパレード」でした。

世の中の女子大生ブームをよく「オールナイトフジ」から、という人もいますが、個人的にはその夜明け前である「ミスDJリクエストパレード」こそがブームを生んだんだという思います。そして、ラジオだからこそ、顔を見えない分だけ、パーソナリティとリスナーが繋がっている感じがしました。

さて、そのミスDJリクエストパレード。川島なおみ(!)、松本伊代(!!)などの芸能人系女子大生も歴代のパーソナリティにいましたが、千倉真理さんは生粋の女子大生。そしてラジオ発という人でした。

ちょっとハイトーンでシャキシャキした声。「やるっきゅない」は土井たか子さんのはるか前に千倉真理さんによって発声されたのでした。
posted by yoshi at 20:04 | 80年代:タレント
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