80年代:プロ野球 80年代少年



け:KKコンビ【けーけーこんび】

清原和博と桑田真澄選手がPL学園で活躍していた頃、だれが名づけたかKKコンビという名がつきました。

今は、ナントカ王子が流行ってますが、当時は「コンビ」だったんですね。

さて、二人がPL学園高校に入学したのが1983年4月、卒業が85年の3月。まさに80年代ど真ん中に甲子園で大活躍ですね。

すごいですよ。

1年生の夏:優勝
2年生の春:準優勝(岩倉・東東京が優勝)
2年生の夏:準優勝(取手二高・茨城が優勝)
3年生の春:ベスト4(伊野商(高知)に敗け)
3年生の夏:優勝

ぶっちぎりですね。見ているこっちまで、PL学園の校歌、歌えるくらいになりましたもん。

で、甲子園での個人成績として、桑田が20勝!!清原が13本塁打!!

その後、(清原にとっての)涙のドラフトを経て、プロ野球の道へ。驚きなのが、それから何十年経っても、二人ともプロフェッショナルベースボール、職業野球人としてぼろぼろになるまで活躍、そして引退。。。

ずっとかっこよかったです。


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posted by yoshi at 08:08 | 80年代:プロ野球

え:江本孟紀【えもと・たけのり】

1981年8月26日。この日は、プロ野球史上、2つのエポックメイキング的な事件が起きている。

ひとつは、「う」の項で述べた宇野勝氏による「うーやんヘディング事件」。
そして、もうひとつが江本孟紀氏による「ベンチがアホやから野球ができへん事件」である。

選手による公然とした首脳陣批判、そしてその末の退団、引退。まあ、ここまではプロ野球界とその周辺のスポーツ新聞のアオリ方からありうることではある。

ポイントは、江本氏が引退後、プロ野球解説者、あるいはある種の球界暴露本的な著書「プロ野球を10倍楽しく見る方法」で成功を収めた点にある。ここらあたりの自己演出能力というか逆転の発想というのは、見事だなあとも思う。

しかし、である。事件的な爽快感は、「うーやんヘディング事件」のほうが圧勝というのもこれまた事実。。
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posted by yoshi at 14:57 | 80年代:プロ野球

ら:ランディバース【らんでぃばーす】

日本プロ野球史上、おそらく最強の「ガイジン助っ人(好きじゃないですが、この言葉)」ではないでしょうか。

1983年に来日、阪神タイガースに入団しました。85年、86年と2回の三冠王です。

特に印象に強いのが、3番:バース、4番:掛布雅之、5番:岡田彰布の強力クリーンアップで、85年4月17日の対巨人戦で、槙原寛己からバックスクリーン3連発を放ちました。あの瞬間、阪神の21年ぶりのリーグ優勝は決まったと思いました(うそです。結果論です)。85年のバースは、三冠王と、リーグ優勝・日本シリーズでの活躍によって、シーズンと日本シリーズの両方でMVPを獲得しています。いや、ほんと、すごいバッターでした。

大リーグ時代の活躍は、それほどでもなく、主にそのネックは守備にあったようですが、阪神でのファーストの守備は上手い部類に入っていたのではないでしょうか。ゴールデングローブ賞は取っていませんが、ベストナインは取っています。特に、ファースト側のファールフライを取る際、帽子を意識的に飛ばしてキャッチにいくバースは、無頼な感じがしたものです。

85年のリーグ優勝の時、道頓堀のケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダースさん像をバースに見立ててファンが胴上げし、道頓堀川に投げ込んでしまいました。このサンダースさん像はついに発見されず、後にカーネル・サンダースの呪いとなり、2003年までの18年もの間、阪神の優勝をばばむことになります。。。
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posted by yoshi at 21:32 | 80年代:プロ野球

ふ:ブーマ【ぶーま】

今はナキ阪急ブレーブスで活躍しましたブーマー・ウェルズ選手。

1983年に来日して、1992年の一年間ダイエーで仕事をして退団するまで実勤10年で1,413安打277本塁打ですから、本当にすごかった「助っ人」ですね。

入団1年目から5年連続して3割超え、1984年には外国人選手初となる三冠王。87年に再び打点王、1989年には首位打者と打点王の2冠を獲得してます。

「プロ野球珍プレー好プレー大賞」での彼の出番は2つのシーン。

ひとつめが、デッドボールをを受けて、マウンドまで走っていく(で、本人はマウンドでしゃがんじゃうんですが)。このシーン、『パスタイム』のCMになりましたね。デッドボールをうけたを受けたブーマーがマウンドへ向かった…と思ったら薬局に駆け込んで、パスタイムをお買い求め、というやつ。「ハンキューベリーマッチ」というゆるいギャグがついてました。

もうひとつが、ホームランを打った門田博光をホームページで出迎えた時、ハイタッチを浴びせて門田は腕を脱臼、というもの。門田選手がトシというのではなく、ブーマーが怪力なだけです。

引退後は、日本とメジャーの橋渡しをしていただいていると聞きます。日本の野球、好きになってくれた方なんでしょうね。
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posted by yoshi at 21:56 | 80年代:プロ野球

き:近鉄バファローズ【きんてつ・ばふぁろーず】

80年代に近鉄バファローズは不思議な軌跡をたどっています。まず、80年代夜明け前である79年には、いわゆる「江夏の21球」(山際淳司さんの名著!!)として語り継がれることになる日本シリーズの名勝負があり、そして80年代に突入すると、80年に優勝のあと、Aクラス、Bクラスを行ったり来たり。時々発作的に最下になったりするわけで、まあパ・リーグはこの時代、西武の黄金時代なわけですね。

で、88年には、「10.19」ダブルヘッダー第2試合でロッテと引き分けて優勝を逸し、その翌年は、西武・オリックスと三つ巴の末に優勝。
そして日本シリーズでは「巨人はロッテより弱い」と言ったとか言わないとかで3連勝の後に4連敗。少なくとも、このときの日本シリーズは、巨人が4勝したのではなく、単に近鉄が3勝して4敗したにすぎない訳です。

近鉄バファローズ。。。やがて歴史の中に、となってしまうのでしょうかね。

ちょっと余談で、かつ少しだけまじめに。山際淳司さんの著作の数々は、いまだに愛読しています。クールな文体は、プロであれアマチュアであれ、スポーツに真摯に取り組む人々への熱い文脈が下敷きにあって描かれていました。山際さんの新刊が出るたびに大切に大切に読みました。「ナックルボールを風に」「そして今夜もエースが笑う」、題名もかっこよかった。当時の角川文庫は、著者別に背表紙の色が違っていたのですが、淡い草色の山際さんの文庫本は、かなり日に焼けた今でも、実家の本棚に並んでいます。

もう、絶版なのかな。図書館ででも、是非。

お、楽天には、まだあるみたい。

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posted by yoshi at 15:31 | 80年代:プロ野球

う:宇野勝【うの・まさる】

中日ドラゴンズ、その後、ロッテオリオンズで活躍し、「うーやん」の愛称で知られるプロ野球選手。1984年には本塁打王も獲得している名プレーヤーですが、記録よりも記憶に残るプレーヤーで、しかもその「記憶」がある一点に収斂している非常に稀有なプロ野球選手です。
その一点とは81年8月26日に起きた「うーやんヘディング」事件として語り継がれている、あの事件です。巨人の山本功児選手の打ち上げたショートフライを、宇野選手は、あろうことかオデコで受け止めてしまったのです。

プロ野球界におけるヘディング行為自体は、たしかその前に、広島の山本浩二選手もしでかしていますが、宇野選手のあの必要以上に濃い眉毛と、うっすらと紅をうかべた頬の印象もあいまって、プロ野球へのサッカー導入といえば、宇野選手ということにとどめを刺すのではないでしょうか。

あれからもう30年以上経つのですね。。何しろ、ヘディング事件当時、中日のマウンドに立っていたのはあの星野仙一さんですから。

それにしても、あの事件を契機に(?)、「プロ野球ニュース」の「珍プレー好プレーコーナー」が特番となっていき、ナレータであったみのもんたさんが一躍有名TV司会者になっていったわけですから、何がどう転ぶかわかりませんね。
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posted by yoshi at 18:14 | 80年代:プロ野球
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